シアワセの定義とは 「The Science of Well-Being」
「シアワセ」が迷子になりました。
初めまして Akaneです。
ここ一年くらい、ずっと悩んでいることがあります。
それは「シアワセとは一体何か」ということです。
この世界には、「シアワセ」のテンプレートが存在しています。
これはみなさんよく耳にしてきたはずで、
年収が高いとか、社会的地位が高いとか、高学歴だとか、ルックスが良いとか、パートナーができた人物であるとか、家庭を持つとか、家を買うとか、車を買うとか、
成長過程において、誰に言われるでもなく、誰に言われないでもなく刷り込まれてきた観念で、決してこれらは義務教育で教えられてきたわけでもないのに、ある種の共通認識のように私達の中に存在し、私達の生き方を決定づけています。
私はこれまで、こういったシアワセをとりあえず追いかけてきたのですが、それが正しいのかよくわからなくなってきました。
そのような厨二病のオタクみたいなことを考え出した契機は一年前の就活です。
レールに乗って生きてきた僕にとって、就活は極めて重要なイベントでした。
だからこそ、自分にとって何が最善の選択肢なのか、ろくにエントリーシートも出さずに考えていました。
その時たどり着いた答えらしきものは「好きなことをして生きていく」ということでした。
仕事にかける時間というのは、人生において考えられないほど長いです。ある種、自分の人生を定義づけるといっても過言ではない。
そのような「仕事」を選ぶにおいて、会社の規模がクソでかいとか、他の人より年収が高いとか、そんな基準で選ぶよりも、毎朝やる気に満ちて出勤し、心の底からやりたいと思える仕事に就くべきなのではないか。そう考えました。
が、そんな仕事はありませんでした。というか、決め切れませんでした。
いくつか選択肢はありました。
大学時代を投じたゲーム、「Hearthstone」の「アクティビジョン・ブリザード」、「夢の国」という商材を扱う「オリエンタルランド」、その他日系のゲームメーカーなどです。ゲームが好きなので、いっそYouTuberにでもなろうかとさえ思いました。
しかし、これに人生を賭けたい、と思うほどのものには巡り会えませんでした。
結局、私はこれまで乗ってきたレールを今更降りることもできず、クソでかい会社に就職しました。
そういう過程を経てきて今、思うのです。
「シアワセとは一体何か」。
別に今が不幸で仕方ないというわけではないのです。
むしろそれだったら簡単で、耐え難い苦痛の根源を断ち切るために、何とか頑張っていけば良いわけです。
そこそこシアワセで、でもこれが一番シアワセなのかがわからない。
これが私の悩みです。
時代の背景もあるのかもしれません。
私達の周りにはあまりにも多すぎる情報が、生き方が氾濫しています。
現代人の一日の情報量は平安時代の一生分、なんて話もあります。
プロ野球選手になるか、プロゲーマーになるかしか選択肢がなければ、迷うことはなかったと思います。
多すぎる選択肢は、かえって私達の選択肢を奪ってしまったのかもしれません。
そして、人間の一生は長くありません。
特に人生を決定づけるような選択ができる期間は、甘く見積もってもこの先10年程度でしょう。
先行き短い老人が世界に何か残さなければと焦り筆を取るが如く、私はこのブログを書き始めました。
前置きがクソ長くなりましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。
「The Science of Well-Being」。
米イェール大学の大人気講義の名前です。
courseraというサイトで無料でネット視聴することができます。
一年くらい前に名門大の大人気講義としてネットニュースになったこのニュースを、社会人になり、人生の選択を迷う中で思い出しました。
その概要をブログを通じて考えるだけでなく、22歳の私が考える「シアワセ」の定義を、未来のために書き残しておきたいと思ったのです。
私の備忘録のような側面がありますが、この講義や、私の記事を読んで、皆さんもシアワセについて考えてもらいたいと思っています。
Akane
@ace_akane